那須野の風に乗って

Entry 268   Permanent LIN K

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芭蕉と雲巌寺


表題

前回記事にした黒羽ユリ園から 北へ2キロ程の処にあるのが 臨済宗の古刹雲巌寺です。
雲巌寺は大治年間(1126年~1131年)に叟元和尚によって開基され、 1283年(弘安6年)に
時の執権・北条時宗を大檀那(家)とし、高梨勝願法印の寄進で仏国国師により開山された
と言われています。以上のように平安時代から続く歴史の古い禅寺です

  その後 1578年(天正6年)に無住妙徳禅師が住職となった折に 宗派を臨済宗妙心寺派としま
した。建物は1590年(天正18年)の豊臣秀吉の小田原征伐の戦火で焼失しましたが数年後に
再建され、又、その後1847年(弘化4年)に火災に今度は火災に遭ったが1849年(嘉永2年)に
再建されています。 1912年(大正元年)、築 300年以上の仏殿の改築工事が始まり、 1922年
(大正11年)に竣工しました。禅寺独特の寂びた静かなお寺で牡丹など季節の花でも有名です。
今回は少々お硬い記事になりましたが芭蕉と黒羽との繋がりを宣伝も兼ねて紹介しました


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曲は和風素材より 「竹 林」


下方の小画像にマウスオンしてください <
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表紙説明
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庭園の花の盛期は終わっていましたが僅かに咲いていました



芭蕉と黒羽藩そして雲巌寺
黒羽に行って先ず気付くのは観光スポットを初めどこもかしこも「芭蕉」一色ということです。
それというのも芭蕉が曽良を伴って奥羽行脚の旅に出た折、 その紀行記「奥の細道」の記載
によってこの黒羽に最も長く滞在したことが分かっているからで、俳聖芭蕉を前面に出すことで
観光の振興は基より文化面での市のイメージアップに力を入れているからにほかなりません。

黒羽藩城代家老浄法寺図書高勝(俳号浄法寺桃雪)との絆
芭蕉は元禄2年3月江戸深川の芭蕉庵を後にして弟子の曽良を伴ない奥州へと旅立ちました。
途中、日光東照宮の参拝などを済ませてから 黒羽に到着したのが4月3日(全て旧暦)でした。
当時の黒羽藩は前年、藩主が死亡し4歳の大関増恒が後継となったが幼い為、 代々家老職の
浄法寺家がすべてを取り仕切っていました。 長男の浄法寺桃雪は江戸の頃から芭蕉の弟子で
黒羽に戻ってからも 俳諧を地域に広める活動に熱心であった。 芭蕉はこの浄法寺桃雪の好意
に浴して 4月16日まで浄法寺家をメインに 黒羽に逗留して地元の俳人との交流を深めました。
現在では考えられないような文化がこの北関東にも花開いていたのでした。 元禄時代の江戸の
華やかな芸術の一端が黒羽にもあったのです。 俳人たちの勧めで江戸での俳諧の弟子であり
禅における師であった仏頂和尚の草庵跡を確かめに雲巌寺へ訪れる事になった由縁でした



芭蕉の辿った道
奥の細道コース


旧浄法寺邸
この建物は実際に芭蕉が逗留した建て物ではないが浄法寺家が
代々所有していたもので内部は武家屋敷の雰囲気が顕著である。
現在は大田原市が管理し一般にも公開している。 催し事の一端に
利用されたり、公園になっている敷地には芭蕉の句碑も残されている


浄法寺邸


芭蕉の句と仏頂和尚の歌碑
芭蕉と仏頂禅師の歌碑


芭蕉と仏頂禅師との出会い
元禄時代 、江戸深川に庵を結んでいた松尾芭蕉は門前に大きな芭蕉を植えていたので
芭蕉庵と呼ばれていました。  当時仏頂禅師は常陸の国 鹿島の根本寺の住職でしたが
鹿島神宮との境界争いを幕府に訴えていたが、 その間深川に臨川庵を結んで居ました。
そこが芭蕉庵に近く禅の勉強中だった芭蕉が時折臨川庵を訪れ仏頂禅師の教えを受けて
いたのでした。二人の出逢いはそこからで仏頂禅師も時には芭蕉庵を訪れ俳諧の教えを
受けていたが彼は歌のほうが得意だったようです。臨川庵での禅問答から生まれた名句が 
古池や 蛙とびこむ 水の音 です

根本寺   芭蕉庵跡
常陸の国仏頂禅師が住職だった根本寺(左)と江戸深川芭蕉庵跡。現在は芭蕉稲荷神社になっている


2012/07/23   地域・歴史     268TB 0   268Com 10  

Comment

 

あきこさん1884   芭蕉   2012/07/25   [ Edit ]

芭蕉は東京深川から80か所も俳句を作りながら、巡ったのですね。

古池や 蛙飛び込む 水の音~
良い句ですね~

花ぐるま1885   奥の細道   2012/07/25   [ Edit ]

お早うございます
臨済宗の古刹雲巌寺の1枚1枚を見せていただくと、ただただ素晴らしい、と思うだけです
雲巌寺には訪れる人が少なくこのお寺で静かに物思いにふけりたくなるような雰囲気ですね
静かな静かな~そんなところが素晴らしいです

芭蕉が辿られた奥の細道がこんな風になっているんですね
私ももう少し若ければこういう道を歩いてみたいなと思いますが~
先が短くなっている現在もう無理かもしれません
素敵な画像を有難うございました

松ぼっくり1886   あきこさんへ   2012/07/25   [ Edit ]

コメントいつもありがとうございます。

芭蕉は俳句に関心がない方でも名前は良く知られ「古池や・・・」の句は特に有名で
ボクもこの句が仏頂禅師との禅問答から生まれたのを最近まで知りませんでした。

芭蕉は人によっては俳人だけでない謎の人物だという説もあります。
つまり当時あれだけの道のりを弟子1人だけを伴って回ることの大変さを
踏まえての事でしょうが、彼を一種の忍者的存在ととらえています。
途中には山賊や獣などの出没した原野も多かったのですから。
東北、北陸と80ヵ所にも宿泊しそのいずれにも句を遺していますが
当時としては常人では到底できないことだと思います。

松ぼっくり1887   花ぐるまさんへ   2012/07/25   [ Edit ]

コメントいつもありがとうございます。本格的な夏がやって来ましたね。

堅苦しい記事で、限られた地域の歴史などが書かれた内容には
コメントしにくかったことと思います。
遊び心が高じて時々こんな記事で自己満足する癖があります。

雲巌時は仰るようにゆっくり自分を見つめる場として最高ですね。
木立の緑と日蔭が豊富で人影も疎らです。
ボクなど全く宗教とは縁がありませんが花の寺の妙道寺もそうでうが
信心に関係なく行くと心が安らぎますね。

花ぐるまさんの行動力をもってすれば当時に生まれていても
このくらいの道程は平気だったかもしれませんね。

koyuko1888   暑いですね。   2012/07/26   [ Edit ]

歴史に疎い私でも、芭蕉の句 「古池や蛙飛び込む水の音」は余りにも有名で、印象深いです。
芭蕉が辿った奥の細道 歴史の勉強をさせて頂きました。v-435

俳句に特別興味がある訳でないのですが、
小学校の教科書に作者不明の俳句「こがらしや子豚の鼻もかわきけり」が掲載されて、今でも覚えています。
この句を情景に絵を描かされて、(絵は苦手) さらに
国語の時間に俳句を作りなさいと言われ、「赤トンボ 水を飲むのか 川岸へ」と詠み、先生に◎を頂きました。
小学校の4年くらいかしら? 褒められた事と宿題を忘れて廊下に立たされた事は忘れませんね。

ゆみぞう1889   あついですね!   2012/07/26   [ Edit ]

勉強になりました。BGMもモダン和風タッチでいいですね。

ごく一般的には地元のことですら、歴史的・文学的な所縁について知らないし、
知ろうともしていない方が圧倒的に多数派なのはご承知の通りです。
ましてや他県の方々となったら、本当に文学的興味素養がある方たちの輪の中に入れば話は別ですが、
一般的には限られた少数派からの反響になるのはごくごく普通、当たり前のことだと思います。
淡々と、我が道を進まれるのが一番だと思います。
既に酷暑なので、お身体ムリは禁物です。お互い大事に致しましょう。

松ぼっくり1890   koyukoさんへ   2012/07/26   [ Edit ]

コメントいつもありがとうございます。

堅苦しい長い記事に、折角おいでになってもコメントを躊躇したくなるところを恐縮です。
芭蕉と黒羽との地域の繋がりをぜひ知ってもらいたいと思い記事にしました。

俳句でも先生に褒められたりとkoyukoさんは何事もトップjクラスなんですね。

松ぼっくり1891   ゆみぞうさんへ   2012/07/26   [ Edit ]

コメントありがとう。今日の暑さは半端ではありませんね。

先日ピラミッド温泉で度々逢う黒羽に住む50歳代の方ですが
芭蕉の話をしたところ全く知識がありませんでした。
増してや隣のここでも他県の方でも特別に関心のない人たちには
どうでもいいことなんですね。もっともどんな分野でもそうですが・・・

所沢在住の妹の彼氏は那須へ来ると必ず雲巌寺に立ち寄っていました。
芭蕉というより禅寺の雰囲気が良かったのでしょう。
「古池や・・・」の有名な句が雲巌寺で修行していた仏頂禅師と芭蕉との
禅問答から生まれたという事を大田原市ではもっと表面に出せば良いのですが。

猛暑の折、ゆぞうさんもご自愛ください。

magamik1892   松尾芭蕉   2012/07/27   [ Edit ]

こんばんわ~
猛暑に泣きたい日々ですね。

「旅に病んで夢は枯野をかけ巡る」芭蕉が大阪で残した最後の句でしたよね。
あまりにも有名な松尾芭蕉のことですので大変興味深く読ませていただきました。
古刹雲厳寺とのかかわりもよくわかりました。

「古池や蛙飛びこむ水の音」は臨川庵での禅問答から生まれた句だったのですか!


少し賢くなれました。
ありがとうございました。





松ぼっくり1893   magamikさんへ   2012/07/28   [ Edit ]

コメントいつもありがとうございます。

ほぼ同時刻のコメントのやりとりでしたね。勘違いでコメントが遅れてすみませんでした。

長たらしい記事を詳しく読んでいただき改めてありがとうございます。
図らずも芭蕉の逝去地は大阪でしたね。あれだけの道のりを曽良一人を
連れて回ったということは当時の交通を思えば画期的な事だと思います。
途中盗賊などに遭遇しなかったのでしょうか・・・

辞世の句や古池やの句はいつ接しても味わい深いですが、奥州辺りで
詠んだ句にも素晴らしいものがありますね。
奥の細道紀行後間もなく亡くなったのはやはり無理が影響しているのでしょうか。


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