那須野の風に乗って

Entry 183   Permanent LIN K

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 野仏のある風景・・・会津西街道上三依  


上三依の水生植物園駐車場から男鹿川の橋を渡り植物園方向とは逆の左手が旧会津西街道の脇道です。この道はここから北方に約2Km程残されているだけで、水生植物園が造られる前にはその先から続いていた筈です。開発が進み新道が造られたりと昔の面影が残るのは僅かな区間となりました。
水生植物園を訪れた時に何度かこの道を歩きました。道の左側は男鹿川で右側の斜面は今は杉の混生林
になっています。 橋から約1㎞の右側路傍に野仏数基があり、そのすぐ後方斜面には4基の供養塔が見え、少し歩くと六地蔵庚申供養の石憧が姿を見せます。そこから200m程の右側に上三依一里塚があります。
こうした旧道・古道に関しては非常に詳しい "がりつう" さんがおりまして、この場所にも触れています。


よろしければBGMは左側の再生マークをクリックしてください
音が出るまで4~5秒かかります








左側男鹿川対岸を走るR121号の賑やかさをよそに、殆ど人の姿は見られない。
路傍に6基の野仏がひっそりと建っている。僅かに残る刻印から建立年代を探る
と延享 ~安政年間(今から約150年~270年前)に亘る江戸時代のものであり
二十三夜供養塔、弁天供養塔、子安観音他で、 どれも旅人の安全や、罪業の救
い、安産などを願って建てられている。近寄って見ると皆、穏やかな顔をしている


野仏群を角度を替えて撮る



6基の野仏群の斜め後方に4基の供養塔が建てられています
最も古いのが弁天供養で延享年間の建立です。供養塔の向かって
右側面に不鮮明ながら建立年代が刻まれているので下に記しました。
二つの山の供養は当時の山岳信仰での登山者への供養と思われます
(  )内は建立年代です



近くの六地蔵庚申供養の石憧2基と野仏の拡大画像
2画像合成は背後の斜面を利用し緑で境を塗りつぶして別個の画像に遠近を付けました


上三依の一里塚
一里塚には説明板があります。分かり易く次に示しました。
この一里塚は、街道をはさんで左右に二基完全に残存する得がたい史跡である。
この街道は会津西街道の脇道で、 尾頭峠を越え塩原に至る最短の街道である。
天和3年(1683)の日光地震によって五十里湖が出来た時、一時的に塩原を経由
氏家阿久津河岸に至る会津廻米道として重要な役割を果たした。 今日再び観光
道路として開発の計画がすすめられている。





古めかしい記事の後には我が家に咲き揃った清楚なカサブランカの画像でお目直しを・・・





中国当局の列車事故車両隠蔽埋立の動画
気ままに行こうか



2011/08/02   地域・歴史     183TB 0   183Com 8  

Comment

 

koyuko1090   野仏   2011/08/02   [ Edit ]

昔の人はそれぞれの思いを込めて野仏を建立したのでしょうね。
私は特別の信仰はありませんが、やはり手を合わせて拝みますね。
穏やかな顔はこころを癒してくれます。心静かになりますね。

松ぼっくり1091   koyukoさんへ   2011/08/02   [ Edit ]

コメントいつもありがとうございます。涼しいですね。

こうした地域特定の記事を少しでも見てくださるだけで
嬉しく思います。
この種の記事では、ご自分の足で踏査して新しい発見をしようと
してている"がりつう"さんというブクログの方がおりまして
この上三依にも触れています。僕のほうの記事は通り一遍の
散策記事でしかありませんが画像では分かり易いアングルを
選んで撮っているつもりです。

野仏を建てた当時の人たちの祈願が込められた
優しい穏やかな石像の表情が印象的でした。

マオママ1092   神仏が   2011/08/02   [ Edit ]

生活の一部として
八百万の神に祈る日本人の信仰の現れでしょうね
湯殿山・・・は山形県と同じなんですか?

箱根の一里塚もこんもりと土を盛ったような姿でした
旧会津西街道、時代劇俳優が似合いそうです

見事なカサブランカですね
奥さんのお手入れでしょうか?自宅で栽培できるとは・・・
高級カサブランカは買ってプレゼントする物と思ってました(。、)

松ぼっくり1093   マオママさんへ   2011/08/03   [ Edit ]

いつもコメントを頂きありがとうございます。

先頃の記事「水戸黄門」で述べたと思いますが
古代から関東以北の全ての道が那須に通じていたのです。
山形湯殿山へは那須に近いこの会津西街道で会津若松まで
行き、そこから喜多方を通り大峠越えで山形米沢に
通じる道(現在のR121号線)があったのです。
そこからは湯殿山は近いですよ。昔の人は現在の人より
スケールが大きかったのですね。車は無くても
何日も旅をして山形くんだりへ参詣していたんですね。
供養塔を造る気持ちも解るというものです。
江戸以前から神仏混淆の信仰はありました。

一里塚は徳川家康が命じて造らせたもので
一般には日本橋を起点とした主要道路の一里ごとに
塚を設け樹を植え、旅人の距離の指標と休息場所を
提供した洒落た場所だったのですね。全国で現存する
一里塚は開発によって多くは失われています。

カサブランカは家内が買ってきて鉢で育てたのですが
天候不順で2週間も開花が遅れました。いい香りがします

テトラ1094   野仏   2011/08/03   [ Edit ]

長年 地元の低山歩きや 名所旧跡めぐりをしていました時、

野仏や、道祖神、六地蔵等に出会うことがよくありました。

そんな時はホッと心が和み疲れも吹き飛び 思わず手を合わせていました。

今回の松ぼっくりさんのブログを読んでそれぞれ一体ごとに、

歴史と、いわれ(作られた目的)があることがよく解りました。

見事なカサブランカですね。画像もお上手です。

松ぼっくり1095   テトラさんへ   2011/08/03   [ Edit ]

いつもコメントありがとうございます。

野仏や道祖神、六地蔵など日本の里山にはまだ所々に
遺されていますよね。
そんな光景を見て安らぎを覚える方は
心優しい人だと思います。

この野仏群は江戸時代のものですが、この地域に
山形の湯殿山の名が見えるのは
一見奇異とも思いますが、当時はここから遥々
山形くんだりまで参詣に出かけていた証拠ですね。
那須~会津~山形は当時難所はあっても
街道は一部を除き整備されていたようですね。
供養塔はその道中の無事を願い、不幸にして
亡くなられた方の供養のためにも建てられたのですね。
野仏の優しい穏やかな表情が印象的です。

我が家にはユリが良く根付き、ゆり園で買ってきた
名のあるユリもたくさん育っています。そのユリは
僕が世話をしていますが、このカサブランカは家内が
購入してきて鉢に植え替えたものです。

アシタカ1096     2011/08/05   [ Edit ]

こんばんは。
江戸時代、街道を行く人々はお地蔵様の姿に癒されたり、励まされたりしてたんでしょうね。
観光開発も必要だとは思いますが、こういうものはやっぱり残して欲しいと思います。
カサブランカ、見事に沢山咲きましたね。

松ぼっくり1097   アシタカさんへ   2011/08/05   [ Edit ]

お忙しいところをコメントありがとうございます。

江戸時代は家康の命令で主要各街道が整備され
それにともなって道祖神や野仏、馬頭観音像、
一里塚など旅人の安全を祈願した石塔や
構築物が多く造られました。

この場所は上三依水生植物園へ花の写真を
撮りに行った折の近くの散策で出会いました。
野仏の表情は初め気が付かなかったのですが
よく見ると優しく慈しみ深く彫られています。

カサブランカ、お褒めにあずかりありがとうございます。


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