那須野の風に乗って

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寺子と芦野の一里塚・・・旧奥州街道を行く



いつも無関心のまま車で通っていた芦野温泉への道が、鍋掛からは昔の奥州街道の一部であるのを知った
のは那須野が原博物館が催した 『 江戸時代の古地図を持って鍋掛・越堀宿を歩く 』に参加してからでした。
その後、何度も通りながら今までとは違った視点で芦野までの街道を見るようになりました。
今回は別に新しい発見があったわけではないのですが越堀の先の富士見峠を越え寺子の一里塚から 余笹
川を通り黒川の橋の先の急カーブを通過した処にある 芦野の一里塚(夫婦石の一里塚)とその先の芦野集
落の一部と田圃道の中を走る奥州街道までを辿って記事にしました。目新しい記事ではありませんので自分
の後々のために備忘録のつもりで記録と編集をしました。FC2は字数制限が厳しくないのがいいですね。


      


                   富士見峠頂上付近の奥州街道で
                        画像上クリックで3枚です
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江戸から明治にかけての富士見峠には茶屋が2軒、土産物屋まであったそうですが今の街道沿いの左右
の山林は持ち主の管理もなく荒れ放題の状態になっています。峠からの眺望は雄大です






                        寺子の一里塚

    

一里塚の起源は平安時代で奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたことからで、そ
の後室町時代の『一休』などを経て全国的に整備されたのは徳川家康が江戸幕府を開いてからで、大久保
長安の指揮の元に日本橋を基点とした主要道路の1里(4km)毎に塚と標識を設置した。塚の傍らや上部に
は榎などの木を植えて旅人が休息をしたり、道程の目安となるように計らった。
その距離計測はかなり正確で今日の最新地図の距離表示と大差がなく、当時の計測技術の優秀性が実証
されている。現在では道路工事などによって僅かに移設されたものや、そのままの位置にあるもの、消失し
たもの等と様々な形で遺されているが貴重な文化遺産として保存している自治体が多い。



              画像上クリックで寺子の一里塚と周辺写真(3枚)
                    この一里塚は日本橋から42番目です
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                       余笹川の橋を渡る
寺子の一里塚から芦野に向かって500mほど行くと余笹川に架かる橋に出ます。 現在の橋は平成10年8月の那須地方
を襲った大雨のため大洪水となって流された橋に替えて 新しく造られたものです。 その洪水は物凄く従来の川幅の数十
倍の濁流に覆われ死者も出た他、流域の牧場や農地は殆んどが流されてしまいました。 その後復旧が進み現在では
堅固な堤防と元の川幅の数倍にも拡張された万全の対策が施されて災害防止に備えています。



                     画像上クリックで3枚です

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                    芦野の一里塚まであとわずか



                  芦野の一里塚とその周辺




                 マウスオンで黒川の橋と橋上流の眺め
          この黒川も平成10年の大洪水後の修復で川幅は数倍になりました
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奥州街道はこの橋を過ぎて左へ大きくカーブし芦野の集落へと入り、 約 800m付近に芦野の一里塚がありま
す。この辺の街道は起伏に富んだ山の斜面で昔は多分寂しい場所だったと思われますが左に芦野温泉への
道が見える頃から芦野宿らしい佇まいを見せてきます。芦野宿は最盛期には商店や旅籠なども多く遊女置屋
まであったそうです。 この先は北へ進路をとって芦野氏の居館跡を左に見て白河へと続いて行きます。 芦野
は関東最北の宿場として歴史も古く簡単な記事にするには不向きで、後日改めて詳しく探訪しようと思います。


                  芦野の一里塚(夫婦石の一里塚)
            この一里塚は日本橋から43番目です (自動スライド2枚)


                             「夫婦石」の名前の由来について
今の一里塚のすぐ近くに水田がありますがそこに小さな夫婦石神社があります。その起こりは今から数百年前、敵に追わ
れた一組の男女が大きな石の割れ目に入って身を隠していたところ、 どこからともなく現われた白蛇2匹がその石を動か
して追っ手を追い払ってくれたそうです。 その後、 この石が夜になると互いに寄り添うように近ずくという話が伝えられて
「夫婦石」と呼ばれるようになり、神社として祭られたという。一里塚の名称はこの伝説からきています。




        画像上クリックで3枚です ( 以上ここまでのソースはSakura先生からお借りしました )

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2011/01/19   地域・歴史    

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