那須野の風に乗って

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高村光太郎 ・ 智恵子そして宮沢賢治 ・・・ 東北の旅 2


高村山荘 ・ 智恵子の生家 ・ 宮沢賢治の生家
  今回は少しお堅い記事になるかもしれませんがお付き合い下さい。3人の点と線を辿って取材しました。  
長逗留した花巻市の大沢温泉のすぐ近くに高村山荘があります。ここは精神を病んだ智恵子を失って失意の中から立ち上がった高村光太郎が東京駒込のアトリエを戦災で焼け出された後、宮沢賢治の父親やその友人の招きで花巻の宮沢家に住まいを移したが、そこが又空襲で焼失したので兼ねてから望んでいた山暮らしのために近郊の山口に鉱山労働者が利用していた山小屋を移築して住み着いた場所でした。その時には親交のあった宮沢賢治は既に亡く、光太郎は土地の人々との交流はあったものの山荘とは名ばかりで冬には隙間風と雪が寝室にまで吹き込むような粗末な小屋で昭和20年から7年間も独り自炊の生活を送りながら智恵子を偲びつつも芸術と真理の探究に没頭したのでした。しかし、この山荘での彫刻は環境の状況にもよるのでしょうか 「野兎の首」 というブロンズ像1点だけでした。詩や書などは相当数あるようです。そのような訳で宮沢賢治との関係は花巻市よりは賢治が生存していた東京在住時代が多く、賢治はよく光太郎のアトリエを訪れたのでした。時には花巻でも会うことがあったようですが賢治は若くして逝ってしまいました。
  宮沢賢治の生家は花巻市の中心街にあり、今は商店街の一角で 「株式会社 宮沢商店」 になっていました。地元の人の話では宮沢商店は色々の物を扱っているようですが詳しく聞くことはできませんでした。毎年夏には期間限定で内部が一般公開されているようです。それにしても賢治記念館は華やかですが、生家のほうはうっかりすると通り過ぎてしまいます。
  花巻市は宮沢賢治が誇りで文化遺産としては最も大切に扱われ、賢治記念館など非常に充実しています。3年前に当ブログで詳しく記事にしましたので今回は賢治記念館は訪れませんでした。尚、賢治記念館の記事は外付けハードディスクに移動してしまったのでここからは検索できません。
  今回の旅の帰りがけに二本松の菊人形展を見学しましたが、偶然とはいえ二本松市には智恵子の生家があるのです。訪れてみると付近は智恵子一色で智恵子純愛通り等もあり、生家の裏庭には立派な「智恵子記念館」が建てられています。 その前にある生家は昔のままに保存されていました。智恵子の生家は当時は造り酒屋でしたが色々の事情で商売が破綻してしまい店は人手に渡ってしまいました。それが智恵子の心の病の一端を占めていたとも言われています。その後生家は旧安達町が買い取りましたが市町村合併で二本松市が引き継いで維持管理を行っています。



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                                                音量は低く設定済みです                       


             高村山荘 ・ 賢治の生家 ・ 智恵子の生家などをスライドショーにまとめました
           サムネイル左が高村山荘、右が賢治の生家、下が智恵子の生家に関する画像です

                 サムネイルにマウスオンして下さい。Sakura先生のソースをお借りしました

<高村山荘 1  山荘南側の当時の菜園。今はお花畑になっている>
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高村山荘の今と昔  (自動スライド4枚です)



                                        高村記念館 ・ 智恵子記念館共に内部の写真撮影は厳禁でした
                            本来の「乙女の像」は十和田湖畔にあります




智恵子の生家正面と間取りです  (自動スライド2枚)




高村光太郎の詩
高村記念館の高橋愛子さんに頂いた 「悲劇の詩人高村光太郎」 という講演資料に載っていた
詩のひとつです。70歳近くになってもなお、智恵子を想う赤裸々で官能的心情に溢れた内容です



                                       (原文どおりの旧仮名遣いで表記しました)



2010/10/10   地域・歴史     119TB 0   119Com 7  

Comment

 

松ぼっくり631   te-reoさん   2010/10/18   [ Edit ]

コメントありがとうございます。

さすが教養豊かなte-reoさんならではのコメントをありがとうございます。
「智恵子抄」を一気にお読みになったとは凄いですね。 僕などは
ほんの抜粋しか読んでいませんので知識は浅薄なものです。

おっしゃるように千恵子の心の病は純粋だからこその顕れだったのかもしれませんね。
純粋な心が己を傷め、悩まなくてもいいものを悩みに変えたりすることが
傍から見れば心の病に見えたのかもしれません。光太郎は
そのような智恵子が愛おしくてならなかったのでしょうね。
高村山荘では好んで清貧の暮らしをしたのも、そんな智恵子への
鎮魂の意味があったのでしょう。粗末な小屋ゆえに、彫刻もできずに
たった1点に留まったのも解かる気がします。1点の「野兎の首」は
光太郎が去った後の山荘の囲炉裏の中から発見されたのだそうです。

te-reo632   智恵子さんの純粋さ   2010/10/17   [ Edit ]

今晩は
今回の光太郎と智恵子に触発されて、智恵子抄
を一気に読みました。
智恵子抄の最後に(智恵子の半生)が綴られ
出会いから死別までの経緯や、光太郎の作詩の
思いがわかりました。
智恵子さんの純粋さ、それが芸術家としての
光太郎を救い、支えたこと。しかし、一方で
自分の芸術追求では、自縄自縛状態となって
しまったこと。
智恵子抄の
「あなたはだんだんきれいになる」
という詩にそのことを強く感じました。
今まで上っ面しか知らなかった光太郎と智恵
子、今回は心に沁みる勉強になりました。

松ぼっくり633   北斗さま   2010/10/14   [ Edit ]

コメントありがとうございます。
お忙しいのに隅々まで読んでいただきましてありがとうございます。

光太郎の山荘・賢治・智恵子の生家を訪れて分かったのですが
山荘は粗末でも光太郎は経済的に困窮していたわけではなく
当時の金で10万円をポンと地元に寄付しているそうですから
好んで清貧の暮らしを続けていたようですね。

千恵子の実家も商売をしていて上手くいっていた時代が長かったので
長女としての智恵子はかなり恵まれた環境にあったようです。
生家に残された遺品などからもそれが伺われます。破産後の失望が
いかに大きかったことも頷けます。

賢治の実家は花巻でも有数の財産家で、賢治記念館の遺品を見ると
当時の庶民としては贅沢な物が多数ありますが花巻農学校で教鞭をとりながら
決して華美な生活を送ってはいません。文学と農芸に邁進していたのですね。
身体はあまり丈夫ではなかったようで、若くして逝ったのは惜しいことです。

北斗634   こんばんは   2010/10/13   [ Edit ]

この記事を拝見し たいへん勉強になりました
光太郎が 宮沢賢治の父や友人の招きで花巻に住んだこと
宮沢賢治の実家が 株式会社宮沢商店であること
智恵子の実家が 二本松の造り酒屋であること
などを
教えて頂きまして ありがとうございます
光太郎の詩「裸形」を読みますと 智恵子への深い愛情が ひしひしと伝わってきます
最後の2行が 胸に迫ります

松ぼっくり635   ゆみぞうさん   2010/10/12   [ Edit ]

コメントありがとう。秋も深まってきましたが例年よりは気温が高いようですね。

ゆみぞうさんは二本松城址見学の時に千恵子の生家にも回ったのですね。
確かに智恵子は光太郎にこよなく愛されたことでは幸せだったと思います。
26歳の頃の写真を見ると、どこかあどけなさの残る面立ちにも
なにかしら淋しげで多感な面が感じられますね。心の病が実際には
どこにあったのか、光太郎にもよくわからなかったのではないでしょうか。
それにしても記事末の高橋さんが教えてくれた詩の何ともいえない艶が心に残ります。

この種の記事はある程度正確さが必要なので作成に時間を要します。
こんな長い文章を不特定多数訪れてくれている方の何人が読んで下さるか
解かりませんが、いずれにしろ日頃の記録のつもりで始めたブログなので
マイペースでアップすることにしています。ゆみぞうさんがよく読んで
下さるのはありがたいことです。感謝しています。

それにしても花巻に長く留まるようになって4年になりますが
今年は高村山荘を再訪問し、賢治の生家を訪ね、帰り道に智恵子の生家をも
訪れるという道程を、計算したわけではないのに一挙にできたのは最高でした。

ゆみぞう636   おんな冥利   2010/10/12   [ Edit ]

初めて智恵子の生家を訪れた時の気持ちが蘇りました。
智恵子という人は、何と幸せな女性だろう、と心から羨ましく感じられたのです。
高村光太郎という、稀代の芸術家に愛され、自分が生きた証をこのような唯一無二のかたちで後世に伝えてもらえるなんて、人として、妻として、これ以上のおんな冥利ってないでしょう

宮沢賢治との接点を具体的に教えていただき、有難うございます

得てして、選ばれたルートが結果的にこのような素敵な人物たちの点と線を結ぶことになろうとは、旅人冥利に尽きますね
記念館の方との触れ合いなども然りですね

-1761   管理人のみ閲覧できます   2012/05/06   [ Edit ]

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