那須野の風に乗って

Entry 105   Permanent LIN K

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黒羽城址と紫陽花

                戦国時代から幕末へ・・・小藩は城と共に生き残った
黒羽藩の起こりは 室町時代の大関家から語らなければならない。 この時代の大関家は那須氏の有力な家臣であった。
大関増清によって築城された余瀬の白旗城は室町から戦国時代にかけての大関氏の活動の拠点である。
その後、 領地拡大に伴い天正4年(1576)大関高増が白旗城から1万八千石で現在の地に大関城(黒羽城の旧称)を築
いた。 那珂川と松葉川に囲まれ切り立った崖もある自然の要害で本丸周囲に造営された深い空堀があり、 現在でもそ
の跡は明らかに確認できる。先頃の訪問では紫陽花の咲き乱れるかなり立派な空掘を見ることができた。
  戦国の世にあっては家康の東軍にに属し関が原にも出兵し、上杉景勝討伐の際には黒羽城は重要な防衛拠点として
脚光を浴び城の各所が充実された。幻となった白河決戦の後、結局は家康軍が関が原でも勝を収め、当時の城主資増
を擁した黒羽は藩として成立した。褒賞として江戸幕府より2千石が加増され2万石となり更に陣屋としての資格を与えら
れ宇都宮藩や大田原藩よりも小録でありながら重要視された。
  幕末には初め当時の城主大関増裕は優れた軍略家として認められ勝海舟などと共に活躍、 自らは陸海軍奉行に任
ぜられ江戸幕府の重臣の一人であったが、 黒羽領内で不審な急死を遂げた。 すると、その後の黒羽藩は官軍側に組し
倒幕に傾いたのである。 この変身振りは いかにも小藩の処世術とも言うべきで、 戊辰戦争後新政府になり廃藩置県で
黒羽藩が廃止されるまで黒羽城と共に生きのびたのである。しかし明治政府により不要となった城は各地で解体された。

  松尾芭蕉が曽良を伴い奥の細道紀行の途中黒羽を訪れたのは元禄2年で、 当時の黒羽藩主は大関増恒で芭蕉が
14日間も逗留した浄法寺家はその当主高勝 (通称図書) が黒羽藩の城代家老であり芭蕉の俳諧の弟子だったからで、
当時の黒羽周辺には芭蕉の弟子たちによって俳諧が広まっており、 芭蕉の知名度は相当高かったようで盛大な歓迎を
受けたらしい。ここを起点にして 芭蕉の江戸在住時の弟子であった仏頂禅師が雲巌寺で修行した山庵跡を地元の俳人
の案内で見に行ったりしている。雲巌寺で詠んだ句も遺されている。黒羽を訪れると何処へ行っても芭蕉一色である。


                      黒羽城西側周辺の江戸時代の絵地図
                  「封域郷村誌」(ほういきごうそんし)附図より 黒羽城位置図


     これ以外に横が2mもある黒羽城関連の絵図2舗が最近発見されているがサイズが大き過ぎて縮小掲載しても内容が判別できない。


        
          本丸跡は広場で中丸跡に文化伝承館がある。二の丸跡は山村開発センターと駐車場になっている。三の丸跡には
          芭蕉の足跡を伝える芭蕉の館があり、奥の細道紀行時の芭蕉と曽良の旅姿を描いたブロンズ像などがある。
          大雄寺は大関家の菩提寺である。 八幡館は大関増清の代の那須氏の重臣の館だったが大関氏の黒羽進出で移
          転したため、建物は黒羽城の一角に属することになった。


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             曲は 「遠い想い出」                       





          黒羽城址に紫陽花が咲く頃 (下の小画像クリックです。ブログの小技より)
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2010/07/10   地域・歴史     105TB 0   105Com 4  

Comment

 

松ぼっくり570   ゆみぞうさんへ   2010/07/16   [ Edit ]

コメントありがとう。今日は久しぶりに朝から陽の光が射しています。

黒羽は当時の県北でも文化の進んだ地域のようです。伝統のある寺院もあり
宿場も発達しています。地番統一変更などで由緒ある地名が多数失われたのは
淋しい限りで、地元の「狩野村」などはその最たるものではないでしょうか。
鎌倉時代、頼朝が奥州への力を誇示するためにわざわざここまでやって来て
大掛かりな狩りを行った事で付けられた由緒ある地名が今は全く消えてしまいました。

紫陽花が終わるとこれからはダリアなどの夏の花が主流で、フラワーパークへ
行くのも暑さ対策がたいへんなので躊躇しがちになります。

暑さが厳しくなる折柄ご自愛下さい。

松ぼっくり571   北斗様へ   2010/07/16   [ Edit ]

コメントありがとうございます。
黒羽は江戸時代の奥州街道筋圏での文化の中心で、今では信じられないほど
俳諧の盛んな処でした。浄法寺家が中心になっていたのは言うまでもありません。
この城跡は比較的良く保存されてはいるものの、例に漏れずかなり観光化が進み
大体は市の観光施設で閉められていますが、西側の那珂川畔には自然林の散策路もあり、少しの時間では到底回りきれません。

札幌でも紫陽花が咲いたそうで、ようやく本格的な夏の訪れですね。

ゆみぞう572   豪華二本立て   2010/07/15   [ Edit ]

黒羽は大田原市にのみ込まれてよかったのかしら??というくらいに、由緒ある歴史のまちですね。
紫陽花はアップほど素晴らしく見とれてしまいました。
BGMも梅雨時期の朦朧とした雰囲気があって、GOODです

北斗573   こんばんは   2010/07/15   [ Edit ]

今回は 力作ですね
私は 黒羽藩のことには殆ど無知でしたが
この記事でよく分かりました
芭蕉も訪れているのですね
紫陽花と睡蓮・・・
今札幌でも咲いています
閉じていたコメント欄を再開しました
またよろしくお願い致します


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