那須野の風に乗って

2011年03月の記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--/--/--   スポンサー広告    

最近のカメラ ・ 写真事情・・・私的雑感


バカチョンカメラ→ 一眼フィルムカメラ→ ビデオカメラ→ コンパクトデジタルカメラ→ 一眼デジタルカメラ
上に並べたカメラの種類は僕が写真に興味を持ち出した30年くらい前から今までに辿ったカメラ遍歴の記録です。
初めてバカチョンカメラを手にした時代はまだデジタルのデの字も出回らないアナログの全盛時代でした。嬉しくて
やたら写真を写し回ったものです。しかし、デジカメのように失敗しても消去できないし、フィルムも高価ですから今
の人たちのように何でも構わず数限りなく撮りまくることはできませんでした。写真の世界は必ずと言っていいほど
現段階では飽き足らず上を目指すことになります。僕もそのいい例でその後一眼レフフィルムカメラで最高ランクに
位置付けられていてプロやマニアが主に使っていたニコンF5を購入しました。値段は30万円と40万円の中ほどだ
ったと記憶しています。この頃からカメラと写真に凝りだし 高価なリバーサルフィルム (現像したネガに色が出る)
を使い始めました。 このフィルは当初、写真マニアかプロでなければ使用しない富士フィルムの得意の分野で見事
な色彩表現力は人気の的でした。僕も凝りに凝って相当なお金を遣ってしまいましたが、写真には精通しました。


フィルムカメラ時代をリードした一眼レフ


このニコンF5は今までのカメラ人生で最も思い出が深く、かつ勉強させられたカメラでした。
それと同時に 一眼カメラは交換レンズが必要でニコンの純正や純正の半分程度の価格で買えるニコンマウントの
シグマ、タムロンなどを買い漁りレンズは10本にもなり、お小遣いは殆どが写真関係で消えてしまう凝り様でした。
まもなくデジタルカメラが出現しました。 当初はキャノンやリコーなどが主導権を握っていて、 ニコンは一歩遅れを
とっていましたが、その後最終モデルと言っていたニコンF5の生産をストップ、デジタル色の濃いフィルム一眼ニコ
ンF6を生産しもう一つMF専門のカメラ以外のすべてのフィルムカメラから撤退してデジタルカメラに力を入れるよ
うになると見る間に先行していた キャノンなどに追いついたのでした。 ここに至ってカメラ ・ 写真界はデジタル全
盛時代へと突入してゆくのです。この時代僕が初めてデジタルカメラを手にしたのは次女が中国旅行の際に使った
ニコンのコンパクトデジタルで画素数はたしか300万画素程度だったと思います。 これ以前にはビデオカメラをか
なりこなしていてWB(ホワイトバランス)などについても概ねは分かっていたのですがまだまだ無知だったのであま
り良い写真は撮れませんでした。 もちろん低画素のせいもありましたが無知だったことが一番でした。勉強してあ
る程度デジタルカメラに馴染んだ頃に購入したのがニコンマウントの富士フィルム製ファインピックスS3Proでした。
このカメラが優れ物で購入した目的が惚れ込んでいたリバーサルモードがある事でしたが、 その機能を使うと見事
なまでにリバーサルフィルム並みの色彩と諧調の豊かな写真が撮れるのでした。嬉しくなって、 当時出回ってきた
デジタル専用とデジ、フィルム共用のレンズを4本も買ってしまいました。 50万円くらいになりましたが、その頃は
現役で稼いでいたのでその程度の出費は何でもなかったのですが 家内などからはよく皮肉を言われたものです。
そして、 ブログを始めたのもこの頃でS3Proと一連のレンズは大活躍してきました。特に下に載せた70-200㎜の
シグマ製のニコンマウント中望遠は最高の品質でF値も明るく、 その時代に購入したエプソンの高性能プリンター
で印刷するとカメラ店に出す必要もないくらいの綺麗な写真ができました。 その後は主にブログに載せるのが主流
になって現在に至っていますが、無駄遣いの癖は続いていて、ニコンだけでは飽き足らずキャノンのデジ一眼と中
望遠の白い外装のレンズで手振れ防止付きの70-200㎜ISを買いました。カメラはEOS60Dでそんなに高価では
ありませんがレンズはカメラの3倍以上の価格で、 まだ使い始めですがさすが性能も良く綺麗な画像が得られます


今のデジカメ、特にコンデジ使用の人たちは一つ一つの写真を大切にしていない
憎まれ口を叩くようですが ブログ等の記事の写真を見るとただカメラ任せでの撮影が目立ちます。現在のデジカ
メはコンデジでも諧調の浅さを除いて 一眼デジに劣らない性能を持っています。僕も一眼の他に1200万画素の
コンデジを3機所有していますが2年前に買った720万画素のキャノンのコンデジでも ブログ掲載程度のサイズ
でしたら十分に鑑賞に耐えられるのがわかりました。そうした事情でブログを開設している主に中年以降の女性
達はコンデジ使用が多く、周知の様にデジタルカメラは撮影後にすぐ画像を確認できるので、失敗してもすぐ消去
できることもあって、やたら構図も露出も考えず撮りまくっています。それでもカメラの性能が良いのでそれなりの
画像は得られますが、写真に深みは感じられません。 設定の結果もあると同時に各写真に心が籠っていないか
らです。 そんなことは勝手だろうと思う方は勿論それでいいのですが 写真ライフとしてはマイナスだと思います。
この事情の象徴がデジブックや goo のフォトチャンネルで 前者は50枚、後者は100枚も画像アップができます



デジタル一眼レフカメラ


左は富士フィルム製ですが、マウント (レンズ適応機能)はニコンレンズ用です。
画素数は1240万画素で特筆すべきはリバーサルフィルムシュミレーションモード
が搭載されていて、 色彩表現力は富士のリバーサルフィルムとほぼ同じです。
色彩だけでなく2個のCCDにより諧調も豊かです。

右は最近購入したキャノンの一眼デジで画素数は1800万画素もあり左のS3Pro
よりも機能面では 問題にならないくらいに進歩しています。 先ず液晶モニターは
3.0inになっているし、 軽量なのに防滴やCCD防塵装置も標準装備です。  その
他動画撮影等取り上げればキリがありませんが3年後のモデルなので当然です。



デジタル用交換レンズ


所持している数あるレンズのうちから性能の良い2本を載せました。
左はニコンマウントのシグマ製70-200㎜ の中望遠でニコンの純正ならシグマの
倍の価格がします。 性能は殆ど純正品と差は無いと言われています。 お買い得
品というわけです。 ニコンは同じ物でも名前で高く売ります。キャノンも同じです。
このレンズは優れた表現力を持っていて A3プリントの写真でも 綺麗に仕上がり
ます。望遠でアップにすると背景も綺麗にボケてくれます。デジタル専用です。

右は キャノンEOS 60Dを購入してすぐにネットで買いました。 ネットだと4割位安
かったからです。 キャノンの白い外装のレンズは性能も良いので 市場で人気が
高く一度使ってみたかったので 無理をしました。 噂に違わず 70-200㎜ の手振
れ防止付きのレンズは 軽くシグマと同様の性能で携帯にも楽なので、 これから
季節が良くなり野外で三脚なしで撮影できるので楽しみが増えました。

以上 偉そうなことを書いてきましたが、そういう僕自身は大した腕ではなく
失敗だらけの写真を載せています。コンテストでも入賞は全くありません。



                                                          コメント 投稿ボタンは上部タイトルの下にあります
関連記事
スポンサーサイト

2011/03/27   エッセイ    

大地震六日前の旅行記事です


今回の大地震 & 巨大津波で壊滅的被害を被った東日本であるが、それが起こった直後のインタビューで
「これは天罰である」と石原都知事が述べたとのこと、いかにも毒舌家の二流政治家らしい言葉であるが
今回の被災地の住民に対しての発言ではなく、自然破壊や人間性を欠く行動が目立つ人達への皮肉なら
当を得た発言とも思えて小気味よい。どこに対して天罰と言ったのかが問題で己の治める東京を含めての
事でしょうか?それなら現在の東京が置かれている事情をよく把握していると思う。 関東大震災並の地震
がいつ来てもおかしくないと言われる東京なので石原都知事は地震が来る前に予告宣言を行ったのか?



<< <


鎌倉宮、瑞泉寺、小町通りの散策
大地震の5日前、かねて予約してあったタビックス白河支店のツアー『横浜中華街と鎌倉散策』に参加しました。
当日は寒さから解放され抜けるような青空の下で中華街の食事を味わった後、鎌倉に移動し鎌倉宮、瑞泉寺
を巡り、八幡宮の駐車場から殆どの参加者はすぐ近くの小町通りの散策を帰途直前まで楽しみました。
よもやこの六日後にこうした大災害が起こるとは夢にも思う筈もなく呑気な旅を満喫していたのです


下の画像上で連続クリックして下さい。20枚あります。北斗様のソースをお借りしました

<<


鎌倉宮 は護長親王を奉斎する神社です。いわゆる建武の中興が成功し、 鎌倉幕府は北条氏と共に滅亡した。 その功績から
護長親王は征夷大将軍に任じられた。 しかし、 共に戦った足利尊氏はその位が欲しいので奸計を 巡らし護長親王を逆賊に仕
立てあげ、鎌倉宮の土牢に幽閉した。その9年後、「中先代の乱」で尊氏は敗れると逃げる間際のどさくさに紛れ、 家臣に命じて
親王の首を刎ねてしまった。護長親王は28歳という若さだった。 明治維新を成し遂げた明治天皇はその精神基盤は護長親王
によるものが大きいとして末永く伝えようと親王終焉の地である東光寺跡に神社建立を勅命した。それが鎌倉宮である。以来、
皇室との関係が深く現天皇も度々訪れて護長親王を偲んでおられるという


瑞泉寺
 は嘉歴2年(1327年)に鎌倉幕府の重臣二階堂道蘊(二階堂氏は那須の与一に辛く当たって反発した武 将で個人的に
は嫌いである)が夢想礎石を開山に介して創建した禅寺です。鎌倉時代の五山文学の拠点で学問の寺であった。 又、花の寺とし
ても有名で境内は季節ごとの花が咲き乱れる。 特に梅林は見事なものらしいが、今回訪れた時期は盛期を過ぎていて紅梅が一
部咲いているだけだった。 この寺は他にもつつじ、牡丹,マンサクなども有名であるが今回はいずれも季節外れだった。 しかし、
この日は他に咲いていた幾つかの花を撮影することができた。


鎌倉小町通りを歩く
瑞泉寺の後、ツアーバスで隣席だった方と小町通りを散策しました。珍しくもない
横丁の姿ですが、人によっては好きなようです。参考までに御覧下さい。
YouTubeで作成した動画を載せました。僕のパソコンの動作環境では
煩わしい途中コマ切れ再生は全くありません





この5日後、大地震・大津波が三陸を襲った

gooブログフォトチャンネルに載せられた大鎚町の惨状
実に画像は100枚もあります。拡大画像でご覧ください




                                                          コメント 投稿ボタンは上部タイトルの下にあります



関連記事

2011/03/21   未分類     152TB 0   152Com 7  

地震列島日本


想定の枠をはるかに超えた東日本巨大地震と大津波
浅薄で決まりきった慰めの言葉が 空しく感じられるような今回の惨状には 目を覆いたくなります。
被災された方々にはどうか気持ちを強く持たれて、日本中はもちろん世界中からの支援がどんどん
行われていることに希望を持って、これから先も前向きに頑張って欲しいと切に願うばかりです。


地 震 列 島 日 本
今回の東北関東巨大地震で被災された方々には心からお見舞い申し上げますと共に不幸にもお亡くなりに
なられた方のご冥福をお祈りいたします。又一日も早い救援と生活環境の復帰、新たなる復興が迅速に進
む事を願います。 今回の巨大地震でも分かるように日本列島は不安定な太平洋プレートの上に乗っている
為大地震が起こり易い環境にあり、 今回の断層の歪みは東西400キロmにも渡って被害を与えるという過
去1千年に遡っても記録にない程の巨大地震であった。 今後 いつ来てもおかしくないと言われている関東、
東海の地震も現実味を帯びてきたし、関西にも安心できない断層がある事から、 日本列島は北海道から九
州まで常に大地震に見舞われる恐れがある地域と言えるわけで、最近世界中で頻発している地震や火山の
噴火、その他の天変地異等を思うと、私たちはいつ何時恐ろしい自然の脅威が襲い来るかもしれないことを
覚悟して生きてゆかなくてはならない。東京上空に出現した地震雲も気になる。 日頃の防災対策が大切だ。


よろしければ画像クリックでBGM開始
再クリックで停止します

<<
                  


忘れえぬ人々、忘れえぬ風景
この度の巨大地震の被災地三陸海岸は数100キロmにわたって大小の断崖が連続し
その切れ目の平坦地やなだらかな海浜丘陵地に幾つかの漁村や集落が点在する美しい
リアス式海岸で僕もここ3年間連続して訪れ、その素晴らしい海岸美を撮影しブログにも紹介
してきました。その集落が全て壊滅状態なのをテレビ等の報道で見ると、本当にいたたまれない
悲しみに襲われてきます。あの時逢った人、あの時話した人達は果たして無事だったのだろうかと
過ぎ去った想い出が次から次へと浮かんできます。 親切な店員が居た気仙沼海岸のお魚市場は
津波に浚れたようです。すぐ後ろの丘がホテルなのでそこまで逃げて生きのびていて欲しい・・・
三陸の旅の折々に撮影した陸中海岸の写真の一部を載せました


下の小画像にマウスオン後クリックして下さい。その繰り返しで10 枚です
<
<宮古 展望台から見た浄土ヶ浜
<<<<<
                    上の小画像にマウスオンしてからクリックです

被災地外ではここ数日で生活のパターンがまるっきり変わった
福島原発の4基の原子炉の障害は東電に多大の供給不足を与え、 計画停電と称して 管内を5グループ
に分けて時間帯を交替して1日3時間以上の停電を行うことで電力の確保に踏み切った東電であるが実際
経験すると何とも不便なことこの上もない。 日頃電気を思うが儘に使っていた人間にとって突然の電気の
遮断はショックであり、 その一方では改めて電気の有難さを思いしらされた。 また、巨大地震によって物資
の流通も滞り、特にガソリン、灯油の供給不足で自分本位なドライバーはガソリンを買い貯めたり、半ば恐
慌状態にある主婦は生活用品や食品を買い占めている。 愚かにも在庫豊富な米まで買いあさったので店
頭から米が消えた。風評が飛び交いそれに拍車をかけた。僕などゆっくり買い物に行くと買いたい物が全く
残っていない。毎日飲んでいる牛乳が特に買えないので困ってしまう。製造工場も完全に復旧していないら
しい。 被災地のように跡形もなく破壊尽くされたわけではないが、半分程度の住宅には何らかの破損被害
が出ているようだ。我が家では室内では落下によりプリンターが壊れ、 外部では大谷石の塀に僅かながら
一部にズレが生じた。 この地方では経験した事がない高震度だった。  家が無事だっただけでも幸いか。

ここ数日間は福島原発付近の住民が近県に避難し始め、 那須地方にも多数やって来ている。施設も用意
されてお互いの助け合いが各地で実行されています。 原発関係被災者たちの無事も併せてお祈ります。
それにしても大きな打撃を受けたわけではない地域で物不足パニックが起こり、買占めが横行しているの
は大馬鹿主婦たちの自分さえ良ければ他人はどうでもよいとの行動が原因であることを思い知るべきだ。


                                                          コメント 投稿ボタンは上部タイトルの下にあります


関連記事

2011/03/16   未分類    

臨時挿入文と「春の兆しを探して」



地震関係の状況(2011年3月15日19時記録)
この度の東日本巨大地震で死亡又は被災された方々へのお悔みとお見舞いを申し上げると共に
楽しい内容のブログ記事を載せる事への遠慮の意味で新しい記事のアップを見合わせています。
又、原発の重大障害により東京電力の供給不足が限度を超えたため、管区内において計画停電
が毎日2回もあってその度にパソコン、インターネットが遮断され、ブログどころではありません。
それから次に深刻なのは、つい先刻の報道では第4炉の損壊で放射能汚染が隣県の栃木から
東京方面にまで拡がっているようです。外出はなるべく控え、やむなく外に出る 時にはマスクを
するようにとの県の広報が出ているし、物が不足していて買えないなど半ば恐慌状態です。


酪農試験場周辺から我が家へ
4月中旬の暖かさがあったかと思えば翌日には一挙に10℃以上も気温が下がるといった陽気で
なかなか春の兆しが見えてこないこの地方ですが、何処かに春の芽生えがないかを探しに
酪農試験場に出掛けてみました。そのあと那須野が原公園を覗いてから帰宅しました。



BGMは奏者クリックで開始、再クリックで停止です
<< <




右側のサムネイルにマウスオンして下さい。ソースは「Sakuraの勉強室」からです
<
<酪農試験場の牧草地は僅かに緑がかってきました
<
<
<
<
<
<
<
<
<
<


当記事のデジブックでの迫力ある画面は下のリンクにあります
もうひとつのブログ
心の風景

                                                    コメント 投稿ボタンは上部タイトル下です

関連記事

2011/03/06   未分類     149TB 0   149Com 6  

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。