那須野の風に乗って

2010年10月の記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--/--/--   スポンサー広告    

畜産草地研究所公開デー (那須拠点)



畜産草地研究所はここ那須と茨城県にあります。 那須拠点では毎年10月に内部が公開され
イベントが繰り広げられます。 放牧育ちと牛舎内育ちの牛乳の比較試飲や 那須牛の試食を
初め子供さんには綿飴を自分で作るサービス、チーズ造りの体験コーナー、菜園肥料の自由
な持ち帰り、3色タマゴのお土産や芋掘り、 乾燥牧草ラップロール作成の実演etc. とあって主
に県内からたくさんの人が訪れ 広い駐車場は交通整理も行われるほど車でいっぱいでした。
尚、畜産草地研究所は国の機関から分離された独立行政法人です。事業仕分の対象には?




<<








<













<<<<<<<<<<


ロールベールラッピングの完成までの実演を撮ってみました
刈り取って乾燥させた牧草をロールベーラーで集めて円筒状にしたものを
ロールベールといいます。それをロールハンドでラッピングマシンの近くま
で運びます。そこでラッピングされたロールベールをを再びロールハンドを
使って集積場所に運び順に並べてゆきます。第二段階までの実演でした。







関連記事
スポンサーサイト

2010/10/30   イベント     123TB 0   123Com 6  

小さい秋と展望塔 ・・・ 那須野が原公園



長くて暑かった夏のために本格的な秋の訪れが遅れました。
紅葉には早い午後遅くお馴染みの展望塔を色々な角度から撮ってみました
この日は撮影目的ではなかったので車に常備してあった古いコンデジで撮りました


<<
<



下の画像を連続クリックして下さい。ソースは北斗様からです
<<



関連記事

2010/10/26   風景     122TB 0   122Com 6  

二本松菊人形展(最新情報あり) ・・・ 東北の旅 4


陸中の美しい海を満喫した後、最後に帰途の道筋で行われている二本松の菊人形展を見物しました。
会場は二本松城址の霞ヶ城公園です。東北道の二本松ICからは5分で着く距離にあって、千恵子の生家にも
近い場所です。1日に開始したばかりで、当日は3日ということもあり、又、今年は夏の暑さが厳しく長引いたため
いつもの年よりも菊の生育が遅れていました。三色千輪咲などは殆んど開花しておらず、五重塔の菊も僅かに開き
始めたばかり。 恒例のNHK大河ドラマ仕立て(今年は龍馬伝)の菊人形もまだ本格的な開花ではありませんでしたが
それなりに見事なものでした。現地案内所の最新情報では10月26日頃からが 見ごろ ということですから、これからです


<<
<
            曲はtamさまオリジナル : 「雅の杜」


毎年恒例のNHK大河ドラマ仕立ての菊人形です
下の画像を次々にクリックして下さい。ソースは 「ブログの小技」 と北斗様からお借りしました


<<


ドラマ仕立ては「大政奉還」までで、まだNHKの「龍馬伝」が終了していないために遠慮したのか、
あるいは縁起を担いだのか 龍馬暗殺 の場面はありませんでした




菊人形以外の菊花の色々
下の画像にマウスオン後クリックして下さい (説明はマウスの下に出ます。10 枚です)


<<菊花 1



縦 画 像 5 枚
自動スライド5枚です (天地がいっぱいなのでPCを拡大画面にして下さい)




龍馬の顔
各場面の龍馬の顔は龍馬役の福山雅治に似せて作られています





会場ではスタッフによる観菊記念の撮影サービスがあります



10月3日の段階では三色千輪咲はこんな状態でしたが
最新の情報によれば10月26日過ぎには満開になっていることでしょう








関連記事

2010/10/21       121TB 0   121Com 4  

光る海と断崖!北山崎から田老へ ・・・ 東北の旅 3


北山崎は陸中の宿泊地であった田老から北へ約45キロ行った処にあります。
岩手県下閉伊郡田野畑村管内にあり、観光地としての施設や管理は一級です。
景観は浄土が浜の穏やかな美しさと違ってリアス式海岸の典型ともいえる切り立った
断崖絶壁が続く男性的な海岸です。整備された遊歩道が張り巡らされていますがいずれも
アップダウンのきつい階段が多くメインスポットでは往復すると650段にもなり、現在崖崩れで
閉鎖になっている波うち際まではその倍もありますので、お年寄りにはかなり苦労する場所です。
北山崎での撮影は時間的に逆光になりましたが、そのため海の煌きが強調できました

<<
<



北山崎から田老の三王岩へ
北山崎から北へ10キロ近くに黒崎があり、そこも素晴らしい景観なのですが
途中道路が封鎖になっていて回り道をしなくてはならなかったので、行くのを諦め
宿泊地の田老に戻ることにし、途中の鵜の巣断崖や三王岩などを見て回りました。

右側の小画像にマウスオンして下さい。ソースは「Sakuraの勉強室」からです


<
<北山崎 1  第1展望台と第2展望台への途中での2枚。 逆光の効果で海が光っています

<
<
<
<
<
<
<
<
<
<





男岩下の潮流 (深場と波打ち際)




                                           


挿入記事 ・・・ チリ鉱山落盤事故に寄せて
チリの鉱山事故で地下700メートルに閉じ込められた33人が全員無事救い出されたニュースは
全世界を駆け巡りました。私を含め誰もが我が事のように 救出作業の成功を祈ったのでした。
成功したのは閉じ込められた作業員を初め救出に携わった人たちの忍耐と協調精神が実った
からに他なりません。又、閉所対策のケアはアメリカのNASAが、救出重機は中国が、日本から
は33人のための肌着には速乾性のもを、といったように各国の支援もありました。このような事
で結束ができる世界なのに何故未だに争いが絶え間なく続いているのか不思議でなりません。
成功を陰ながら祝って 私も買い置きがあったチリワイン 「トキ ・ アンディーノ」 で乾杯しました。

                                                         2010年10月15日記

                          チリワイン Tooui Andino



関連記事

2010/10/16       120TB 0   120Com 4  

高村光太郎 ・ 智恵子そして宮沢賢治 ・・・ 東北の旅 2


高村山荘 ・ 智恵子の生家 ・ 宮沢賢治の生家
  今回は少しお堅い記事になるかもしれませんがお付き合い下さい。3人の点と線を辿って取材しました。  
長逗留した花巻市の大沢温泉のすぐ近くに高村山荘があります。ここは精神を病んだ智恵子を失って失意の中から立ち上がった高村光太郎が東京駒込のアトリエを戦災で焼け出された後、宮沢賢治の父親やその友人の招きで花巻の宮沢家に住まいを移したが、そこが又空襲で焼失したので兼ねてから望んでいた山暮らしのために近郊の山口に鉱山労働者が利用していた山小屋を移築して住み着いた場所でした。その時には親交のあった宮沢賢治は既に亡く、光太郎は土地の人々との交流はあったものの山荘とは名ばかりで冬には隙間風と雪が寝室にまで吹き込むような粗末な小屋で昭和20年から7年間も独り自炊の生活を送りながら智恵子を偲びつつも芸術と真理の探究に没頭したのでした。しかし、この山荘での彫刻は環境の状況にもよるのでしょうか 「野兎の首」 というブロンズ像1点だけでした。詩や書などは相当数あるようです。そのような訳で宮沢賢治との関係は花巻市よりは賢治が生存していた東京在住時代が多く、賢治はよく光太郎のアトリエを訪れたのでした。時には花巻でも会うことがあったようですが賢治は若くして逝ってしまいました。
  宮沢賢治の生家は花巻市の中心街にあり、今は商店街の一角で 「株式会社 宮沢商店」 になっていました。地元の人の話では宮沢商店は色々の物を扱っているようですが詳しく聞くことはできませんでした。毎年夏には期間限定で内部が一般公開されているようです。それにしても賢治記念館は華やかですが、生家のほうはうっかりすると通り過ぎてしまいます。
  花巻市は宮沢賢治が誇りで文化遺産としては最も大切に扱われ、賢治記念館など非常に充実しています。3年前に当ブログで詳しく記事にしましたので今回は賢治記念館は訪れませんでした。尚、賢治記念館の記事は外付けハードディスクに移動してしまったのでここからは検索できません。
  今回の旅の帰りがけに二本松の菊人形展を見学しましたが、偶然とはいえ二本松市には智恵子の生家があるのです。訪れてみると付近は智恵子一色で智恵子純愛通り等もあり、生家の裏庭には立派な「智恵子記念館」が建てられています。 その前にある生家は昔のままに保存されていました。智恵子の生家は当時は造り酒屋でしたが色々の事情で商売が破綻してしまい店は人手に渡ってしまいました。それが智恵子の心の病の一端を占めていたとも言われています。その後生家は旧安達町が買い取りましたが市町村合併で二本松市が引き継いで維持管理を行っています。



<<
                                                音量は低く設定済みです                       


             高村山荘 ・ 賢治の生家 ・ 智恵子の生家などをスライドショーにまとめました
           サムネイル左が高村山荘、右が賢治の生家、下が智恵子の生家に関する画像です

                 サムネイルにマウスオンして下さい。Sakura先生のソースをお借りしました

<高村山荘 1  山荘南側の当時の菜園。今はお花畑になっている>
<
<
<
<
<
<
<
<
<
<
<
<<<<<<



高村山荘の今と昔  (自動スライド4枚です)



                                        高村記念館 ・ 智恵子記念館共に内部の写真撮影は厳禁でした
                            本来の「乙女の像」は十和田湖畔にあります




智恵子の生家正面と間取りです  (自動スライド2枚)




高村光太郎の詩
高村記念館の高橋愛子さんに頂いた 「悲劇の詩人高村光太郎」 という講演資料に載っていた
詩のひとつです。70歳近くになってもなお、智恵子を想う赤裸々で官能的心情に溢れた内容です



                                       (原文どおりの旧仮名遣いで表記しました)



関連記事

2010/10/10   地域・歴史     119TB 0   119Com 7  

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。